鶴の一声

靏繁樹が日々考えたことや思いついたことを徒然とかきます

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ホーチミン

   

 弊社は15年程前から、中国の研修生を受け入れてきたが、中国のこの10年間の経済発展や一人っ子政策、日中関係の悪化などを踏まえて、中国からの受け入れを継続しながらも、本年から、保険的にベトナムからの研修生受け入れを開始した。
 そのため、昨年はハノイに研修生の選考に行ったが、今年は同じ目的でベトナムの南部ホーチミンに行ってきた。

 ホーチミンは、ベトナム独立運動の指導者ホーチミンの名前から来た都市名だが、ベトナム戦争まではサイゴンという激戦地だったことで知られている。
 その以前は、フランス領だが、それを日本が占領し、戦後は南北ベトナムに分断されていた。
ベトナム戦争は、ベトナムが南北の共産主義と民主主義で争い、南を民主主義の防衛線としてアメリカが支援、そして参戦し、ロシアが対抗して北を軍事支援した。代理戦争みたいなものだ。

その南の首都サイゴンが、来たのベトコンと言われる共産軍に陥落して、アメリカ軍が撤退したことで戦争は終結した。
 近代武器も乏しく、戦力も大差があるベトナムになぜ、超大国のアメリカ軍が負けたのか。
現地に行くと、ベトコンがゲリラ戦を戦った地下道が張り巡らされている跡地が、観光名所として残っているが、ジャングルの中に罠があったり、夜に攻撃したりという神経戦にアメリカ軍は負けた。
 愛国心が武力に勝ったと言えるだろう。
この戦争を経験したアメリカの兵隊は、精神異常を来したものが多いと言うのも頷ける。

近くにある、戦争記念館を訪れると、戦争時の残虐な捕虜の処置や、枯れ葉剤による奇形児の写真が展示され、見るうちに涙が出てくる。
戦争は、被害者、加害者、そしてその家族子孫、全ての人間を不幸にする。

 ホーチミンは、ハノイ同様、今発展途上にあり、拡大中だ。
人間性も良く、賃金は日本の10分の一、中国の半分水準なので、日本の企業も多く進出しており、日本の居酒屋、ラーメン屋、すし屋も多い。東南アジア特有に、贅沢品は高いが、一般雑貨は、かなり安い。
 ヨーロッパやアメリカなどで、テロが続発すると、比較的安全な東南アジアは今後も投資や観光で潤うだろう。
ただ、日本、中国に続き、子供の数が減っていることは、将来不安の一因である。

 - 政治経済, 社会, 雑記

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