日本人
2016/03/02
海外に行くと、日本の常識は外国の非常識とよく言われる。
日本人は、無用心とかお人好しという言葉も多い。
しかし、それは決して悪い事ではない、外国が日本のような国になりきれてないこと。
例えば、よくある話が、外国では考えられないという自動販売機。外国だったらすぐに盗難にあうという。
ストなどの時に、店を荒らすようなことも日本では見られない。拾った財布を届けるなどあり得ないという。
どんなに人が多く急いでいても、列車やエレベーター、映画館ではちゃんと自らが列を作って並ぶ。
部下や取引先で優位に立っても、年配者には敬意を払う。
災害などで、水や食料が無くて、配給されたとしたら、我先とは争わない。それが日本人だ。
これらことをどうして身に着けてきたのだろう。
特別、学校で習うわけでもないが、やはり、日本人が武士の時代から躾という形で作り上げ継承されてきた、人はこうあるべきという武士道の精神なのだろうか。農耕民族として自然と共存した中で育まれたのか。
仏教や儒教。とにかく理屈で身に着くものではないことは確かだ。
国家の品格の著者である藤原博士が言っていたが、日本人は、もっと小さい時から英語を勉強しないと国際社会に通用しないなどと言うのは、大きな間違いだと。
日本人は、もっと日本の国語を勉強すべき。外国人が日本語を学びたくなるような国にすればいいと。
面白い考えだが、博士の言いたいことは、日本は外国から不思議がられるほど、道徳的に進歩している国だということ。
外国と比べて、日本はトイレなどの見えない所も綺麗にする。日本の労働者は見えないところでもサボらない。
確かに、外人から見た日本人の姿は、秩序を保つこと。商売にでも義理人情が働くこと。外国から見ると無防備と思われるほど、知らない人も優しく受け入れること。
感情が深く、情緒とか風靡、わびさびのような独特の感性があるのも、日本人ならでは。
文字の美、空間の美、自然の美、生け花などはその極致。
もっと大きなことは、全国民に教育が行き届いていること。今でも海外では識字率の低い国がたくさんある。
私達日本人は、もっと日本人であることに、そして日本国に自信を持つべきだ。
確かに、外国でも優れた国や優れた文化があるが、戦争に負けてもう70年経った今、そろそろ日本人の優れた面に気付き、それを絶やさないように努めるのが、今を生きている世代の役目だと思う。
今、事件や報道を見ると、かつての日本では考えられなかったようなことが起き始めている。
秩序や情緒のような本質的な面だけでなく、今や、日本人はノーベル賞の常連。
ユダヤ人が世界に分散した今、こんな小さな国で、これほどノーベル賞を受賞している国はないのだ。