通夜
お通夜とか夜伽とも言うが、他の言葉と違い、仏教の世界の事だからと思うが、地方によって違う言葉もないようだ。
今日、親戚のおじさんが亡くなったと言う知らせがきた。
親戚と言っても、親戚の親戚みたいなものだが、親戚の家で会って、一緒に飲んだこともあり、通夜に参列することにした。
とにかく、その人の死と言うものは、間違いなく一度きりなので、知らせがあった以上、余程嫌いか、余程の用事が無い限り、行っておいた方が心残りがないと思った。
確かに、疲れている時、おまけに寒い時などは、帰ったら家から出たくなくなるものだが、人の出会いや別れの刹那は、そんなことと量れるものじゃない。
それに、その別れの中に、長く会わなかった親戚や友人との出会いもあるものだ。
また、通夜や葬儀に行って、その人の本当の姿を知る場合もある。
昔の通夜は、夜伽(よとぎ)と言って、近所親戚が集まり、それこそ朝までその家の中や外で夜を明かしたらしい。
それほど、人同士の繋がりが強かったのだろうが、現代の通夜は、近親者以外は、ほとんど2時間以内で解散となる。
もちろん、各家から葬儀場に代わってしまったからということもあり、家人の負担もその方が少なくていいのかも知れない。
都市部では、もっと簡単になっているようだし、地方でもそうなるのだろう。
本当に、寄り添いたい人が寄り添えばいいのではないか。