格差問題
近年、貧富の格差という問題が注目される。
有名なのは、アメリカの経営者の異常な報酬、年収何十億というもの。
このところ、なぜか共産主義の中国の富裕層の話題が多くなった。
我が国は資本主義国家と言う道を選んだ以上、その結果として富むものと貧しい者が出るのは当然の成り行き。
しかし、実際には、共産国家の方が貧富の差が激しいようだ。
例えば、前述の中国やロシア、キューバなど、官僚や共産党員などは、日本と比較にならないほどの資産を貯蓄し、贅沢三昧をしているのに、地方の農家や工員は、その年収の100分の一にも満たない暮らしをしているのが実情。
どうも近年は、所得の低い人を一括りにして捉えるから、救済や支援するにも違和感がある。
なぜならば、みんなが平等という思想の行きつくところは共産主義ということになる。
理想な筈の共産主義が失敗したのは、頑張っても頑張らなくても、与えられるものは一緒。それならば無理して頑張る必要はない。そうなると生産性は落ちて、国は経済崩壊してしまう。
努力して、より働く者が働かないものより給料が高い、結果いい暮らしができるのは当然のことなのだ。
その結果だけ捉えて、富む者が悪者で、貧しい者が悲劇の主人公のような扱いは考え直すべきで、その人が、なぜ裕福になっているか、なぜ貧乏になったかを解明した上で、そこは区別して対応すべきだ。
もちろん、親の財産が転がり込んだ場合もあるし、賄賂や悪行で富を得た場合もあるかもしれない。
貧しい人も、家庭の事情や、身体の事情もあるだろう反面、勉強もせずに遊びまくったり、持ち金以上に散財したり、投資や博打に失敗したり、薬に手を出したり、働くのが嫌でそうなった人もいるはずだ。
政府は1面だけを見て、派遣社員の使用を非難するが、会社が正社員にしようとしても、毎日同じ仕事をしたくないからと、自ら派遣社員を選んでいる人も多い。
本来は、一生懸命努力して億万長者になった人は、ヒーローとして称えていい。
成功した人も、自分だけで成功はできない、今度は人々の模範になって社会に貢献して貰いたい。
金が全てではないが、自分の生活や心がある程度豊かにならないと、貢献も出来ないし、人を幸せにも出来ないのも事実なのだ。
一方、遊んだ挙句、金を使い果たし、生活に窮するようになった人を、ただ助けるのは、けっしてその人の為にもならない。
確かに一部の政治家のように、政治家になってなぜか資産が増えたり、人の犠牲の上に富を築いたりした人は非難されてもしょうがない。
親の所為で、学校に行けなかったり、他人の犠牲になったり、身体が不自由で通常の仕事ができなかったりと、自分の責任以外の原因で貧しい生活を強いられている人々は、それこそみんなで支援すべきだ。
苦あれば楽あり。楽あれば苦あり。いつの世でも不変の道理。
どちらかを選ぶとすれば、先に苦を経験した方がいい!!