820 賃金訴訟
近年、労働者の権利というものが強くなり、特に、非正規雇用者という人々が弱い立場の労働者という見なされ、その関連の訴訟が増えている。
明治以降、近代日本の資本主義が出来上がり、そこに会社の形態が出来て、雇用者と被雇用者という立場が生まれた。昭和になると、労働争議などを経験したり、少子化による労働力不足の危機感もあり、世界でも優れた労使関係先進国となっている。今は、共産国でさえ、誰でもが会社を立ち上げ、経営者になれるし、人を雇えば雇用者になれる。
しかし、経営能力がない、またはそういう責任を取りたくない。人に雇われて確実に給料をもらった方がいいという人もいる。そう思う人はサラリーマンになるか、自分と家族でやるくらいの自営業をやるかだろう。選択自体は自由だし、今は極小資本で会社が設立できる。経営者になりたくてもチャンスが無かったという人もいるかと思うが、それは、やはり熱意と努力が足りなかったとして思えない。特に今の日本は誰でも創業できる環境が整っている。あとは本人の能力と努力と覚悟でしかない。自分で創業できなくても、入社して頑張れば、社長は無理でも役員という経営者の一員にはなれる。
今回、ニュースになったのは、非正規社員が、賞与と退職金を受け取れなかったことに対する不服訴訟。このところ、平等とか権利というものをはき違えている人が多くなってきた。法を分かっている筈の弁護士でさえ、何でもいいから訴訟に持ち込む。勝てば評判が上がる。
そもそも、会社では、基本的には正社員を雇用する。この正社員というのは、ただ、働けばいいというものではない。経験を積んで、その経験と知識を会社の発展に役立て、会社は、会社の将来を担う人材として育てる。つまり、長期間働いて能力を伸ばせることを期待して採用する。そのために、会社は、他社に先駆けて、いい人材を見つけて正社員として雇用しようとする。また、社員が会社の期待にどれだけ応えたか、また期待できるかという評価によって賞与を出す。今は生活費に組み込まれているが、元々は字の如く、賞を与える。つまり報奨金なのだ。退職金も、以前は、長年勤務して、会社に貢献したことに対する退職慰労金と呼ばれていた。
一方非正規社員と呼ばれるアルバイトや契約社員は、会社としては経営合理的に、比較的単純な繰り返し作業や、短期に必要な作業などに採用する。何よりも今は昔と違い、雇用する場合は、お互いに条件を、労働基準法に則り、雇用契約書で明確にし、そこには賞与や退職金の有る無しを明記してあるはずだ。私は、基本的には弱い立場の人間を応援する人間だと思っているが、それを、後になって、正社員として雇用されている人は賞与を貰うのに、私がちゃんと仕事をしているのに貰えないのは不平等だというのは意味が違う。
もしも、その条件が嫌なら契約しない自由がある。もしも条件に賞与がないから嫌だと思えば入社しない自由がある。いつでも辞める自由がある。非正規社員が、みんな弱者だと思うのは大きな間違いだ。今は、一度雇った社員が非正規であっても、多少の理由では会社は辞めさせる自由が無い(笑)。正社員になった以上は束縛もあるし、転勤も残業もある。私の面接経験から、非正規社員になっている人は、束縛されたくない。自由な時間が欲しい。家庭の事情で転勤も残業もしたくないという人が圧倒的に多い。
例え話「熊本県のトウモロコシ農家のCさんは、初めの約束で、A君B君に、それぞれ同じ面積のトウモロコシ畑を割り当て、8時間で刈り取ったら1万円払うことを決め、終わった面積に応じて、例えば5割なら5千円を払うと約束し、2人も喜んで承諾した。A君は前もって早く終わる方策を立て、6時間で全部終わって約束の1万円を貰った。B君は何も考えず始めたが、休み休み作業をしたので、8時間経っても7割くらいしか終わらなかったので、7千円を支払った。これは自給875円に当たり、熊本県の最賃793円以上となる。でも、B君はA君以上に畑にいたのだから、やっぱり1万円払ってくれ。払わないなら怖い親に言いつけると言う」。
正社員になると責任が重くなるから嫌だと言う人さえ中にはいる。また、学生時代に勉強より、遊びやアルバイトを優先して採用試験に落ちたという楽しみ優先型の人もいる。今は、過去のいきさつで出遅れて非正規社員として雇用されても、本人がその気があって、頑張れば、正規社員になる例はいくらでもある。要は、その会社に必要な人間になることだ。
優れた経営者ほど、前向きに陰ひなたなく努力する社員を見出そうと、いつも社員を見ている。非正規でも、優れた人材は自社の将来的戦力に取り込みたいと思うは当然だ。ということで、今回の判決は2件とも、裁判官の良識が発揮され、不当な要求が却下されたのは妥当であったと思う。
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