鶴の一声

靏繁樹が日々考えたことや思いついたことを徒然とかきます

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819 稀有な経験2

   

昨日のブログで、幼い時の貴重な(笑)経験談を書いた。これから紹介するのも、あまり皆が経験するものではないと思う。いずれも、50年前にアメリカに農業留学していた時の経験。

まず、1つ目は、私が暮らした所は、カリフォルニア州の西部南端、メキシコ国境とロスアンゼルスの中間辺りの田舎町。町の名前はテメキゥラといい、やはり旧メキシコの町名だ。我がホストファームは、その山中にオレンジやアボカド、ワインブドウの農園を増植中で、その農園の一角のトレーラーハウスが1年間の我が家だった。

その一帯は元々砂漠で、裏山には赤茶けた岩山が広がっている。そこにガラガラヘビが生息している。私は、そのガラガラヘビのしっぽについている鈴を集めることにした。蛇すらすると、とんでもない奴が日本からやってきたと言う訳だ。日曜日に1人、長柄の鍬を担いで、山に登り、岩の間に潜むヘビを探す。岩をめくると、シャラシャラと言う音を鳴らして、鎌首を上げて威嚇してくる。相手が飛び掛かる姿勢を見せた時に、その鍬で首を一撃。もちろん、噛まれたら、こちらがあの世行き。

1人だし、病院も遠いので死亡率70%というところだろう。ガラガラ蛇の実物は相当大きい。大きいやつだと、人の腕の太さがある。とにかく、やっつけたら尻尾の鈴を切り取って袋に入れる。年を食っているやつほど、鈴の数も多い。1日に3匹ほど。この辺ではガラガラ蛇の被害も少なくないので、地域貢献にもなる(笑)。

このガラガラヘビ退治もあまり経験する人がいないと思うが、更に、その帰りに、鍬にその袋をぶら下げて、真っ黒に焼けた顔で、サボテンの自生する岩山を下っている時に、ボーダーパトロール。つまり、密入国者を取り締まる国境警察に止められた。まさか、山中にパスポートは持ってこない。いくら日本人だと言っても、外見はまさにメキシコからの密入国者そのもの。ついにボーダー警察事務所に連れて行かれ、何とかホストに電話して引取りに来てくれた(笑)。

後日、メキシコ人の友達の車に乗せて貰い、逆にメキシコへの不法入国を試みたが、検問で見つかって失敗した。結局は、暫くして、メキシコの入国ビザを取って入国することとなった。国境の町ティホアナ。麻薬映画などでよく出てくる街。そこでは、写真撮影と言って数人グルになって財布を取られそうになったり、買い物した中身を、全然違うものと店ですり替えられて、取り戻しに行ったりと、後で思えば、ヤバイながらも面白い経験だった。

農作業では、冬の寒い時期は、内陸性気候で零下に気温が下がるため、夜中に果樹園にヒーターを炊く。管理する農園の広さは日本の平均的栽培面積の100倍近くになるので、黒人のアルバイトを雇って小屋に待機させておく。それを私がトラックに載せて園のあちこちに降ろして廻る。別に差別も偏見も無いが、夜中にガタイの大きい十数人の黒人を起こして、トラックに乗せるのも、最初は異様な光景だった。まず日本ではしない経験だろう(笑)。

黒人と言えば、ロスのダウンタウンのはずれで、数人のグループに追いかけられたこともあった。逃げ足は速かった(笑)ので、何とか難を逃れた。休み中に出かけたハリウッドでは、親切に泊めて貰ったプロのカメラマンがホモだった。もちろん私は潔白だ(笑)。そんなこんなで、19歳から20歳を過ごしたアメリカでは、なかなかの稀有な経験をすることになった。そう言えば、渡米して間もなく、無免許運転で捕まって、2週間以内に免許を取得しなければ強制送還と言われ、もちろん日本国内の免許は持っていたが、アメリカでも免許をとるはめとなった。学科は英語だから少し大変だったが、実技は、普段自分が乗っている車を持ち込み、街中を走って採点されるだけだったので、一発合格。それからは悠々運転で、野山を駆け廻った。

 - 雑記

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