785 災害ボランティア
熊本県の人吉や芦北、福岡の大牟田や久留米など、大雨により家屋が冠水したり床上浸水したり、もちろん流された家もある。その災害も大変だが、その後の始末が、それ以上に大変だと言っても過言ではない。
私も、地元の友達の家が1階天井まで浸水し、後片づけの手伝いに行ったことがあるが、家の中を洗い流し、水に濡れた重い畳や、家具を運びだし、泥を掻きだす。水が出ればいいが、出ない場合はもっと酷いことになる。片づけは、どうしても梅雨明けの暑い中の作業になるし、いつまでも手伝いが居てくれる訳でもない。おまけに、浸水の後は、張り板が曲がったり、壁や天井にカビが発生する。汚泥や臭いによる衛生面も簡単に解消しない。
今も、被災地では、その大変な作業に追われているが、感心するのは、駆けつけてくれるボランティアの皆さんだ。もちろん、兄弟親戚などは手伝いに来ると思うが、全く縁もゆかりもない人々が応援に入っている。今回は、コロナの関係で人数や地域を制限しているが、制限しなければ現状の倍以上のボランティアになっているらしい。
私もロータリークラブの活動や合唱団の慰問活動、少年指導などで、ボランティアという名の活動はしているが、災害ボランティアのように、何の見返りなしに、赤の他人の片づけに、手弁当で、泥まみれになり、汗を流すようなものではない。資金的な支援や趣味の活動の延長、そして仕事の延長でしかない。私が、病気で無くても遠路出かけて行っただろうか。
テレビで一生懸命復旧に汗を流しているボランティアの皆さんの姿を見るたびに、その崇高な精神と行動力に敬服している。今更ながら、高齢ではあるものの、体調体力が病気以前であったなら、本心これから先、そんな災害ボランティア活動も参加したいと思っている。しかし残念ながら、今の状態では皆さんの足を引っ張りかねない。以前、大学生のボランティアは単位が加算されるようなことを聞いたが、それが本当なら、とてもいいことだと思う。もちろん高校生でも、クラブ仲間で参加できれば、そこで地元の人との繋がりも出来るし、仲間の連帯感や、達成感も得られるだろう。教室の授業の数倍の価値がある。
ボランティア組織の連絡網もあると聞くが、そういうリーダーの中から、国県市町の議会に送り出したいものだ。ただ、そんなボランティア活動をする人ほど、地位や金に縁が無い人が多い(笑)。もちろん、議員さんなど、実際に自分の目で現場を見て、その支援策を提案したり実行したりすることは大事なことだが、顔を出すだけの現地入りなら反って被災地の指導者を煩わせる。
思わず長引いた梅雨も、いよいよ再来週には明けるようだが、長く太陽光線に当たっていないと、よけいに暑さが応える。今年の夏も35度超えが当たり前になりそうだ。身体が弱ればコロナにも感染しやすくなる。とにかく、8月1日から9月15日くらいの1か月半、日本の夏は御用心。
さて政府のコロナ後支援対策の目玉、GOTOキャンペーンもアベノマスク状態になってきた。いつまでドタバタ劇が続くのか。説明責任という言葉はよく聞くが、説明も責任もあまり聞いたり感じたりすることが無いのは、全国民の共通した感覚ではないだろうか。世の中、忘れたがいいこともあるが、忘れてはいけないこともある。