685 夏の甲子園
今年も、猛暑の中、甲子園球場では全国高校野球大会が行われている。あの御椀状の球場の中、球児達も大変だが、じっと座って応援する方がもっと大変。まさに甲子園窮状(笑)
やはり準々決勝辺りからは、甲子園常連の高校が勝ち残ってくる。強い高校は、各地から強い選手を勧誘して来るし、強い選手も野球の有名校に集まる。だから常連校が勝ち上がってくるのは当然の事。本当は、本来の地元で構成した野球チームで戦って欲しいと思うのは私だけだろうか。
才能ある選手たちも、将来はプロ野球選手になりたいと思うだろう。そのためにはスカウトが集まる甲子園に出たい。その為には出場の可能性のある高校に行きたいと思うのは当然だし、自分のレベルアップにも、レベルの高いチームに入りたいと思うのも当然の事。それを否定はできないが、県代表として大会に出場するという元来の意味を考えさせられる。
昔、四国の池田高校という無名の、しかも地元選手だけで9名ギリギリの人数で出場し、優勝したミラクルがあった。全国民が出場県関係なく応援した。おそらくこういうことも2度とないだろう。
有名校になると、部員も半端じゃない。当然3年生でも1年、2年に抜かれて出場できない選手も多い。しかし、応援席を見ていると、そんな悪びれた選手を見ることはない。やはり、スポーツのなせる技なのだろう。出れないことによって学ぶものも大きい。
団体競技をやっている若者は、1人1人は目立たないが、活動の中で学ぶものは多く、先輩後輩関係、協調性、忍耐力、友情と、社会に出て生きるものも多く、企業などは、団体競技を続けてきたという若者は、それだけでも採用の価値があると思っている。
そう言えば、今年の予選決勝で、飛びぬけた力の投手を、本人の将来の為と温存して敗退した高校があって、その是非が話題となったが、確かに、彼が投げていたら甲子園出場を果たし、他の選手の今までの努力も報われただろう。今まで投手1人で戦ってきたのではないのだし、選手や高校、地域全部の夢だったのだから、なぜだと憤慨した人も少なくないはず。しかし、一方で折角の逸材を無理して連投させて将来を駄目にしたら。決勝戦は、その日限りだが、その子の人生はずっと続くのだから。そして、その話題も時と共に過ぎ去ろうとしている。
自分で決断する重責を背負っている者。それが指導者であり、トップなのだ。