655 PTA
パンツとTシャツがアベコベの会ではなく、Parents & Teachers Association 日本名、保護者教師会。昔は父兄会と言っていたが、父兄が居ない母子家庭、または親の居ない家庭もあるという事で名前が変わって来た。なぜ父兄会だったのか、確かに昔は、親が居ない子供は、年の離れた長兄が面倒見た時代があった。しかし、兄と言う字は、お兄さんの意味ではなく尊敬語だったのかもしれない。
昨日は、そのPTAの八女市連合会の総会と懇親会が開催され、教育委員会として懇親会に招待された。市内の各小中学校の会長副会長、校長教頭、それに地元選出の県議や八女市当局の教育関係者、およそ150名程ではなかったかと思う。
今、このPTAという組織の役割が重くなっている。児童のいじめ問題や、親や教師のパワハラ問題など、年を追うごとに増えているからだ。ニュースでは、教育委員会が頭を下げる場面が多いが、事件に一番近い存在は、この保護者と教師に他ならない。保護者と教師と児童の信頼関係があり、相互に相談できる体制が出来ていれば、いじめも自殺も、これほど起きることはないのではないか。
近年の傾向として、何か事件があると、親が、教師や学校、教育委員会を批判非難するようだが、その逆はあまり聞かない。本来は、いじめをした方もされた方も、その親が反省すべきなのに、責任転嫁してしまっている。教師は、受け持っている数十人の生徒を見なければならないので、見落としもある。しかし、保護者は自分の子だけを気を付けて観ればいいし、特に食事の時間など、注意していれば、何らかの変化があれば気付くはず。
また、いじめる方についても、3つ子の魂、百までと言うように、して良いこと、してはいけないことの分別や、道徳的な教育、つまり躾は、親が自分の子が小学校に行く前までにきちんとやるべきだ。それこそが親または保護者の務め。子供は作ればいいというプラモデルとは違う。親の言う事やすること、環境によって性格が形成されていく。曲げに曲げた松の木の仕立てておいて、学校で真っ直ぐな松の木に変えてくれと言っても無理な事。しかし、教師と親との信頼関係があれば、思い切って、幹を切り返して、そこから真っ直ぐな新枝を伸ばすことはできる。
教師も、自分を信じて、児童を信じて教育する覚悟も必要だろう。ここまで、教師が矢面に立たされるようになると、教師も思い切った矯正が出来なくなる。当たり障りのない、見てみないふりの教育になってしまう。だからこそ、このPTAという組織のあり方が重要になっている。昔の親は、自分の子を先生か叩いてくれるとお礼を言っていた。自分がすべきことを代わりにしてくれたからだ。それ程、信頼関係があった。
怒ると叱るは違う。パワハラと躾は違う。優しさと甘やかすのは違う。