鶴の一声

靏繁樹が日々考えたことや思いついたことを徒然とかきます

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646 死について

   

昨日、私のロータリークラブの先輩で、男声合唱団の仲間でもあった方が亡くなったという知らせを受けた。酒屋と料亭の経営をやられていて、私に、私が親しくしていた会員と共に、ロータリークラブへの勧誘に来られた時、交換条件としてお二人に、私が団長をしていた合唱団へ加入して貰った。ところが、間もなくして脳溢血という病に倒れ、ロータリークラブも合唱団も退会して、入院され治療に専念されていたが、残念ながら復帰はできなかった。

もう倒れられて6年程経つが83歳。日本の平均寿命より数年早い。というより、仕事を全うされて、今からゆっくり出来る70歳後半で倒れられたのが惜しまれる。

私達も、いずれ死はやってくる。私の場合は、いずれと言うより近い将来やってくるだろう。人は生まれるときは自分で意識できないが(笑)死ぬことは事故や突然の病で無い限りは予期できる。どちらに転んでも現代85歳から90歳が死亡適齢期。もちろん、90歳を超えて元気なお年寄りも居られるが、殆どは寝たきりや痴呆症などで、本来の生きて生活をするという状態ではない。

私は、今のところ、その適齢期の自分の死を悲しいとか寂しいという思いは無い。会社と同じで、精一杯仕事をして退社することで解放される。生きることも同じで、その時代時代をその時期に合わせて精一杯生きてきたら、もうその辺で、人生を閉じていいと思っているし、それ以上生きる意義も必要性もない。だからこそ、今を悔いの無いように生きれるのだと思う。

死後の世界は、動物や魚と同じように骨となってしまい、あの世の世界は無いと思う反面、残った家族や生地を見守る霊魂が残るような気もする。もちろんこれは気持ちの問題であって、科学的にはあり得ないことだ。私は霊媒師が呼び出しても答えない(笑)

このところ起きた交通事故死、フランスのテロに寄る死など、予期せぬ、また誰も望まぬ悲しい死もあれば、病気で苦しんで死にたいと思う苦しい死もある。寿命で死ねることは幸せの極みだと思う。それも、ちゃんと家庭や社会の務めを果たして死ねれば、この上ない。

 - 雑記

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