鶴の一声

靏繁樹が日々考えたことや思いついたことを徒然とかきます

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杣人伝 最終

   

 牛島は、矢部から八女市内に向かう途中、市役所に電話を入れて、田村市長の在庁を確認し、新聞社のコネで、すぐに面会ができるように根回ししておいた。
 幸い、市長の田村は前日に、東京から帰っており、すぐ会うことが出来ることになった。
市役所は、かなり年季が入っており、市長室までは迷路のようになっていた。
 藤代は、市長に簡単な自己紹介をして、早速、持ってきていた東京都陸上大会の、関矢の記事が載った新聞を田村に見せ、今までの経緯を話して、消防署のレンジャー隊員の出動を頼んだ。
 市長は、一通り聞いた後、副市長と総務部長を呼んで、室外に出て立ち話で内容を説明して意見を聞いていたようだったが、5分ほどで戻って来た。
 市長は、「本来なら、そんな突飛な話で出動させることは出来ないが、その丸山さんという教師の遭難捜索ということであれば、要請することにしましょう」という事で許可が下りた。
 既に、総務部長から消防署長の方に連絡したとのことだった。

 2人は再び矢部小のグランドに引き返し、消防署のレンジャー隊が来るのを待った。
2人がグランドに着くのとほぼ同時にレンジャーを乗せた赤いヘリが着いた。
さすが、早いと藤代は感心した。
 やがて、PCに写った集落と思われる場所を確認し、その上空までヘリを飛ばし、3人のレンジャー隊員がヘリからロープを垂らして、谷底に降りた。

 確かに、それなりの人数が生活していたと思われる建物の土台や焚火の跡、人の足で踏み固められた痕跡などはあったが、人の気配は無く、どこに消えたのか全く手掛かりは得られかった。
 みずきや高校教師が言っていた小屋やお宮などを、どのように解体して、それを運ぶ運搬具も無いのに、どのように運び去ったのか。
 まだそれほど時間も経っていないので、歩きでそれほど遠くに行けるはずはなかったが、もう午後5時を回って、森は暗くなりかけており、それ以上の捜索を頼むことも出来なかった。 藤代は、もうこれ以上、捜索するべきではないのかも知れないと思った。

 品川高校の校長の関矢は、事件の後、校長を辞していたが、請われて同じ校区の公民館長を務めていた。
 その関矢に、あの事件から1年程経った頃、1通の手紙が届いた。
滋賀の六所宮の宮司からだった。
 手紙には、こう書いてあった。
「いろいろご心配とご迷惑を掛けましたが、皆、無事に落ち着くところに落ち着いたとの知らせを受けました。皆も少しずつ前に進んで行くでしょう。有難いことに新しい芽も芽生えたとのこと。また、こちらに帰省された時に会いましょう」それだけだった。
 その手紙の中に、1枚の連峰を写した絵ハガキが同封されていたが、下の方に小さく宮崎県の霧島連峰と印刷されていた。

 品川高校の三沢みずきも、早稲田に進学し、また本格的にフルートの練習に取り組んでいた。
 高校時代の友達とたまに会うと、関矢の話も出るが、あれから半年も過ぎると、謎の少年の話題も、政権交代などの大きな話題にかき消されてしまった。
 ただ、あの後、都大会で関矢が放った国立競技場の2本の槍の跡に、最長不倒記録として何か記念に作るような話も出ていたが、結局は大会規定に反しての出場だったということで取りやめになったという記事が出ていた。

 愛犬のミックを連れて散歩する時、あの坂のところに来ると、子犬を抱えた関矢が夕日を背に立っているような気がした。

終わり
4か月に渡り、最後までご愛読ありがとうございました。
是非、自然に囲まれた八女・矢部においでください。
九州の果実を使った、自称日本一美味しい「九州旬食館の果実のゼリー」もよろしく。

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