杣人伝 その32
翌日の10時過ぎに、3人は後征西将軍良成親王御陵の手前にある車止めでタクシーを降りた。
さすがに矢部村は、奥八女と呼ぶらしいが想像以上に奥地に入ってきたと思った。
タクシーの運転手が、3人が地元の人間ではないと察したのか、途中の場所場所でいろいろと説明してくれた。
大杣公園と名付けられた御陵のある所まで来たが、家は途絶え、こんな所になぜと口に出そうになるほど山深く、まさに秘境だ。
運転手は、3人を降ろした後も、山の中だからタクシーが呼んですぐ来れるような場所でもないので「帰りは大丈夫ですか」と心配そうに尋ねたが、丸山は「帰りは迎えが来ることになっていますから」と、道中の親切や心配りにお礼を言って、タクシーを見送った。
迎えが来ることも無いのだが、丸山は、ここが関根の故郷だと言うのなら、迎える人はいる筈だし、住む家も有る筈、それ以上、後のことは考えないことにしていた。
3人は、車止めから階段を上がって、御陵に向かって歩き出した。
寒い年は、この時期、雪が積もって通れなくなり、孤立することもあるそうだが、幸いこの数日、この時期にしては暖かい日が続いているとのことだった。
人里離れた御陵は、鬱蒼とした森に囲まれているが、誰が管理しているのだろう、車止めの広場から御陵に続く道の両側は、植栽されたつつじが奇麗に刈り込まれ、樹木の管理も行き届いているようだ。
両側には桜も植えられ、みずきは、桜の時期は綺麗だろうなと想像していた。
最初の階段を上がると、広場の奥に大木に囲まれて大きな石垣と石段が見えた。
その広場には、大きな藤棚と相撲の櫓が建っている。
奥の石段の前に、広場より一段高くなっているスペースがあるが、ここが、運転者が途中教えてくれた、神職と巫女による奉納舞が催される舞台だなと丸山は思った。
紅葉も既に終わっており、杉や楠などの常緑樹の緑の中に、落葉樹の木々が、僅かに茶褐色の葉を留めている。
関矢は、我が家に帰ってきたかのように、2人の前を御陵の方に歩いて行く。
3人が最後の階段の前まで行くと、御陵の傍に建つ、神社のような小さな建物から老人が出てきた。
老人は、掃除でもしていたかのような作業着の風体で、まるで3人が来るのを分かっていたかのように何も言わず、御陵の方に向かって、首に下げていた小さな竹笛のようなものを吹いた。
ピィーッとかん高い音が静寂な森に響いた。
間もなく、御陵の奥の方から人が出てくるのが見える。
丸山とみずきは、こんなところに人がいるのかと驚いた。
更に、驚いたのは、いつの間にか3人の後ろにも、2人の男が立っている。
出てきた男は「お帰りなさい」と関矢に言って、頭を下げた。
合わせて、神主風の男と2人の男も「お帰りなさい」と頭を下げた。
男は、そのまま、何も言わず、今来た階段を陵墓に向かって上り始めた。
男は、最初の階段を上がったところで立ち止まり、関矢と何か話し始めたが、丸山とみずきを見ながら話しているところを見ると、恐らく、一緒に連れて行くのかどうかを話しているのだろうと丸山は察した。
男は、納得したように陵墓を囲う格子の扉を開けて、全員入るようにといった仕草をして、更に奥に進んだ。
神主風の老人は、6人が入った後、扉に鍵をかけ、一礼して立ち去った。
陵墓の奥は、10メートルも行かない所で行き止まりとなった。
つづく