鶴の一声

靏繁樹が日々考えたことや思いついたことを徒然とかきます

*

杣人伝 その28

   

「いらっしゃいませ」入口の戸が開いた音で、女性の声が奥から聞こえた。
店の名前は「ダルマ」と書いてあるが、中はさっきの喫茶店に負けず、素人っぽい、まだ若い女性3人が、カウンターに肘をついて飲んでいる初老の男性の相手をしながら串を上げている。
「串揚げの店か」藤代は意外に思ったが、こじんまりとしていて、2人で食事するには丁度いいのかもしれないと思った。

 地方の町に行くと、居酒屋でも飲み屋でも、東京とはまた違った素朴さがあって、藤代はそれを結構気に入っていた。
 何よりも、飲み屋の前に駐車場があるのが、何となく笑えるが、後で牛島に聞いたのだが、結構、みんな山手の方から来るので、自分の車で来て、帰りは代行運転というのが多いらしい。
「おっ、やっぱり来とったね」と牛島が、その初老の男性に声をかけた。
「あら、また悪い時に来たね、せっかくママばくどきょったつに」男性が笑って返した。
この店も、馴染みの客が多いようだ。
 牛島は、その男性と二言三言交わして、その隣の席を一つ外して、藤代に椅子を勧めた。
牛島が「それでは、先ずはビール」とビールとグラスを受け取って、「それじゃ」と藤代のグラスに注ごうとしたその時、藤代の携帯が鳴った。

 本社の山田からだった。
「藤代さん、わかりましたよ。九州に行ったわけが」山田が得意げに言った。
「実はあれから、ありクラスの生徒を追っかけて、わかったんですよ。その少年が転校してきた時、九州の田舎から転校してきたと言ったらしいんです。」
 牛島は、ビールを注ごうとしたままの姿勢で、藤代も、それに対してちょっとお辞儀をして、グラスを牛島の進めるビール瓶の方に向けたまま、まだ終わっていない山田の言葉を待った。
「それで、担任の教師がいないので、教頭に突撃して聞いてみたんですけど、皆さんに話した通り、当校からは、大会には田川君と長谷川君が出ているという報告しか受けていない。誰かが代わりに出たと言うようなことは承知していないし、冬休みで担当教員と連絡が取れないので、お答えしようがないと言うんですよ」
 とにかく、今回の事件が、新聞に大きく取り上げられたことで、全国的に騒がれ、いくら私立高校と言え、品川高校としても、かなりの窮地に立たされ、校長や教頭にも教育委員会や体協などからは、ことの説明や責任追及もあったはずだ。
 引率した丸山と言う教師も、そのまま勤務することは難しい。居ないはずの少年も居る訳にはいかない。それで、少年の出身地に連れ帰ることにしたのだろう。

 それよりも、その丸山と言う女教師が、騒ぎになることを分かって、自分を教職を犠牲にしてまで、なぜそんな大胆な行動を取ったのか、藤代には納得できない思いがあった。
 とにかく、電話が終わり、牛島が藤代のグラスにビールを注いだ。
藤代は、こんどは牛島からビール瓶を受け取り、牛島のグラスに注ぎながら、「せっかく注いで頂いているところをすみませんでした」
「いゃー、とんでもないですよ。記者さんに電話がかかってこないんじゃ商売になりませんし、そのお陰で私等の仕事も成り立っているんですから」
そう言いながら、お互いのグラスをちょっと合わせて口に注いだ。

「お客さん、東京からですか」店のママさんだろうと思われる、和服の似合いそうな、年の頃は30代そこそこかなと思われる女性が、カウンターの中から尋ねた。
 藤代は、その女性をどこかで見たような気がする。カウンターに座った時から思っていたが、どうしても思い出せないでいた。
 そして、話しかけられた時に思い出した。「そうだ、羽犬塚駅でみた大きなポスター、確か山鹿燈籠のポスターに描かれた女性の絵、作者の名前は思い出せないが、スポーツ紙などにも挿絵を描いている、あの作者の描く女性の顔や雰囲気に似ている」そう思った。
 少しビールの入った牛島が、自分の彼女のように「ママ、美人でしょ、美人ですよね」と同調を求めるのも納得できる。
 一緒手伝っている二人の女性も、なかなかの美人で、「八女というだけあって、美人の産地なのだろうか」藤代は心の何で呟いた。
「そうだよ。東京のね、中央日報という結構大きいスポーツ紙の記者さんなんだよ」
代わりに牛島が応えた。
「お仕事ですか、何かの取材で」
「うん、凶悪犯が東京から逃げてきて、その追跡調査だって」また、牛島が答える。
「またー、トモさんのいう事は、何がどこまで本当だか、わかんないから」

 藤代は、彼女が牛島のことをトモさんと呼ぶのと、話し方から、牛島がここの常連だということは確かだと思いながら、笑顔で二人のやり取りを聴いていた。
 牛島は、隣の男性のグラスにも、時々ビールを注いでいる。
ママが気を利かせて、その男性の隣に座って、お酒をお酌した。
 牛島と藤代は、暫く串揚げをつまみにしがら、ビールを2~3杯飲んで、次は焼酎と言って芋焼酎談義に移った。
 暫くすると、地元の商工会の役員連中が忘年会の流れだとか、苺を土産に苺農家の親子連れが来たり、みんな常連のようで、酒が隣から隣に行き交う様子が家族的な雰囲気で、牛島が通うのも分かる気がした。

つづく

 

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