鶴の一声

靏繁樹が日々考えたことや思いついたことを徒然とかきます

*

杣人伝 その15

   

 スタートして三十分も経っただろうか、一人の生徒が校門から走り込んできた。
マラソンのゼッケンを付けているようだが、マラソンのゴールにしては、いくら何でも早すぎる。
 男子の半分の距離で帰ってくる女子も、まだ誰も入って来ない。
マラソン記録用に設置された大きな時計は、まだスタートして二十六分を示している。
 今までの競技では、男子のトップが一時間若というところだから、勘違いで半周で帰ってきたか途中棄権かな。みんなそう思った。
 みずきも丁度、幅跳びの合間で、入ってくる選手を見ていた。
よく見ると、関矢だ。
 みずきは思った。やはり土地勘が無いのでコースを間違えたか、二周と言うのを分かっていなかったのか。それとも、あの起伏の多いコースでペース配分を間違って途中棄権したのだろうか。
 そして、田舎から出てきてこの辺の地理を知らない関矢に、みんなでこの競技を押し付けたことを可哀そうだと思った。
 クラスのみんなも、そう思ったのだろう。走り終わった関矢にみんな駆け寄って、笑いながら肩を叩いたり、ふざけて髪をくしゃくしゃにしたりしているのを見て、これは関矢がみんなと仲良くなる、いいきっかけになったかもしれないと、みずきは心の中で微笑んでいた。

 その後、暫くして一周だけの女子選手が次々とグランドに姿を現す。
みずきが幅跳びの競技が終わって頃、関矢から三十分遅れで、男子先頭の選手がグランドに戻ってきた。中には、遅れた女子選手も混じって入ってくる。
 みんなが、そのハードなコースを駆けてきた選手に拍手を送った。
やがて男子も次々と入ってくる。フィールドでは他の競技も再開している。
 ふと見ると、人がまばらなテントの中に、関矢が何も無かったかのようにポツンと座っていた。
「こりゃ、大物だ」みずきはそう思って、思わず吹き出しそうになった。

 午後には、関矢は走り幅跳びに出場したが、そのユニークな飛び方が周目を集めた。
選手の殆どは、斜め横から助走して、バーを挟み込むように平行に飛ぶベリーロール、もしくは陸上部などが使う背面飛びに分かれる。
 しかし、関矢はバーの真正面から走って、そのまま前掲で飛び越え、クルッと回って着地するのだ。
「あいつ、高跳びの跳び方を知らないのか」みんな不思議な目で見ていた。
しかも、自信があるものは高さを上げていく途中から挑んでもいいという、担当の教師の言葉で、ずっとパスしている。ようやく教師に促され、百七十センチから飛び始めた。
 この段階で、関矢の他は三年男子三人が残っているだけだった。

 やがて、放送で百七十五センチが告げられ、グランドのあちこちからオーッという声と共に、みんなが高跳びの競技に注目するようになった。
 四人ともに百七十五センチをクリアし、百八十センチは、関矢と背面飛びの陸上部の生徒二人に絞られた。
 その後、百八十は三人ともクリアしたが、百八十五は関矢だけが残った。
この時点で関矢の一位は決まったが、取り敢えず一人、校内新記録の百九十に挑戦することになった。
 しかし、みんなが息をのんで注目する中、いとも簡単にそれを跳んでしまった。
後は、記録への挑戦という関矢の独り舞台となっていた。
「この調子だと、まだまだ行けるぞ」バーと関矢の体にはまだ十分な間隔がある。みんながそう思った。
 バーの高さは既に二メートルを超して二メートル十センチ。ここまで来るとさすがにテントの中にいた生徒も、他の競技中の生徒さえも集まり始めた。
 その異様な雰囲気を関矢も初めて気づいた。
そして、視線の先にある本部席の方に目をやると、教頭の朝倉が困ったような顔をして立っている。

 関矢は、二メートル十五センチをあっさり二本続けて失敗した。
「あー」っというみんなの失望の声が聞こえたが、当の本人は何もなかったかのように、さっさとジャージを着始めた。
 みずきも、関矢がわざと失敗したみたいで腑に落ちなかった。
日本記録は、二メートル三十三センチ、高校記録は二メートル二十センチとボードに表示つれていたが、二メートルを跳んだ時は、日本記録さえも塗り替えるのではないかとみんなが思っていたのだ。
 しかし、一呼吸おいて、それはため息から拍手に変わった。
そして、校内競技の新記録達成と、非公式ながら高校記録まであと十センチだったことを放送で伝えた。
 非公式とは言え、高校新記録が出たら相当の反響を呼んでいただろう。
このスポーツ記録に縁がない品川高校から、その記録が出ることを期待しただけに、拍手の後も「残念」「絶対いけると思ったのにな」というような言葉が生徒の中で飛び交っていた。

 その後、暫くして、これを上回るニュースが入ってきた。
先ほど、トップで入ってきたと思われた十キロマラソンの生徒が手にしていたのは二番の番号札だったのだ。
 折り返し点と本部の連絡が良くなかったのか、折り返し点の担当者は、トップで来たのは想定外に早く走ってきた一年の関矢だったというニュースだった。
 それが本当なら、仮に十キロを二十六分で走ったとしたら、フルマラソンで二時間を切る計算になる。十キロつまり、一万メートル競技でも世界記録より早い。
 競技本部テントでは、騒然として何やら校長や教頭までもが加わって協議をしている様子だが、マラソンのニュースのことだろうか。みずきはテントの方を見つめていた。
 やがて、放送があり、少し手違いがあったが、マラソンの結果は変わらないという内容だった。と、言うことは、関矢が途中を近道したか、何か乗り物など利用するズルをしたということなのか?
 またまた、関矢ということから、この時を境に「関矢はおもしろいやつだ」ということになっていた。

 関矢が校長に呼ばれて何か諭されているような光景に、みずきは、やっぱり何かズルして叱られているのかなと、可笑しくなった。
 結局は考えられない記録だったことで、協議の上、ありえないということになったのだが、丸山には、関矢がズルをしたとは思えなかった。
 そして、関矢が全く弁解せず、しかも悪びれず「すみませんでした」と言った素直さに、「もしかしたら、これが校長や教頭があの時言っていた特殊な能力に関係があるのだろうか」そう心の中で呟いていた。
 丸山は、関矢の高跳びや、マラソンから帰ってきた時の走りを思い出しながら、現代の洗練された跳び方や走法とは全く異なるが、ちゃんと指導したら想像以上の記録を出せるのではないかと、何かこの幕切れに吹っ切れない思いを抱いていた。
 競技会も終わり、次第に競技会での出来事もみんなの脳裏から薄れて、校内はまた平凡な日常に戻っていた。

つづく

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