鶴の一声

靏繁樹が日々考えたことや思いついたことを徒然とかきます

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少年時代1

      2015/07/30

 夏が過ぎ~恋アザミ~
井上陽水という人は、本当に作詞の天才だと思う。曲もいいが、やはり魅力は歌詞だ。
 特に、彼が歌い始めてから5年程の全盛期の歌を聴くと、今は彼らの詩に感化されて、よく似たような歌詞が作られるが、その時代の陽水や拓郎、彼らの言葉の発想には今さらながら凄いと思う。

 私の少年時代は。。。小学校の頃は、昭和20年代で戦後あまり経っておらず、まだ物資もあまり無い時代で、大人たちは一生懸命に戦後の日本を開拓し、家族を食わせるのに一生懸命で、子供たちは、子供たちの世界で遊んでいた。
 山に登り、木や竹で刀を作ってチャンバラごっこ、力道山をまねてプロレスごっこ。
おやつは、山に実る木の実やさとうきび、いも、草の根も食べた。

 ひいじいさんが、縁側で日向ぼっこをしていて、何か面白い話をしてくれていたのを微かに覚えている。
ある日、友達が、これは自分ちの畑だからみんなで食べようと言うので、スモモの木に登って、いい気分でスモモの実を食べていると、全然知らないおじさんから怒られて、追いかけられて逃げた逃げた。
 もちろん、そのスモモ畑は、その友達の家の畑ではなかった!

お宮の社の一角で友達とキャンプして、村で名物の松の木を切って薪にしてしまったり、学校に行くと言って、山に行って一日遊んで、それがバレて散々親に叱られたり。。。いつも、その悪友と一緒だった。
とにかくワルガキで、よく父親に、夜の蔵の中に閉じ込められた。暫くすると母が助けてくれた。

 一番愉快だったのは、友達のぶどう畑に、近頃ぶどう泥棒が入るというので、その家の息子が、泥棒番に私たち悪友2人組に、一緒に付き合ってくれと言ってきた。何日か付き合った。でも、泥棒はぱったり来なくなった。
泥棒が番をしているんだから、来るはずはない(笑)
 昔は、村と村の間が遠くて、家がなく灯りもない。バスも1日に何便もはない。一人で母の実家に遊びに行く時は、途中でバスを降りて思いがけなく暗くなると、誰かに追いかけられているようで、無我夢中で走って母の実家に駆け込んだものだった。
 祖母の実家は街中で、まだテレビが珍しい時期に、テレビがあったので、夏休みなど、何キロも歩いて見に行った。
夜遅くまで、その家のおじいさん、おばあさん、それに同じ年区内の姉妹と寝転がって、ララミー牧場やローハイドを見ていた。
 おじさんは、以前プロ野球の選手で、その後会社員になっていたが、いつも帰りが遅く、後で離婚した。
小学生時代の思い出。

 - 社会, 雑記

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