鶴の一声

靏繁樹が日々考えたことや思いついたことを徒然とかきます

*

842 へんな夢2

   

838号から841号は、入院中のため、勝手ながら、病院でスマホから、フェイスブックに書いたので、842号からの発信。

私は、時々変な夢を見る。みんなも、そうだと思うが、夢と言うやつは、なぜだか朝には忘れてしまう。このところ、中々眠れらない夜が続くが、約1時間半の眠りの中で、またまた変な夢を見た。今、夜中の1時半だが、覚えている内に、そして、どうせ眠れないなら眠気が付くようにと、起き上がって書いている。

まず、始まりは、辺春地区という八女市の最南端の山の中。昔、私を会社に勧誘してくれた上司を、自転車の荷台に乗せて山中を下っていると、火の鳥、それも美しい日の鳥では無く、鳩くらいの大きさの燃える火の鳥が集団で攻撃してきた。理由は不明(笑)。全力で自転車をこいで、駆け降りたところに旅館があった。場面は急変して、旅館には、私の昔の悪友4人で泊まっており、その日の鳥をやっつけに行くことになった。今度は軽トラの後ろに乗って刀で襲ってくる火の鳥を切り落とす。まるで鬼滅の刃だ(笑)。旅館に帰ると、カウンターがあり、朧ではあるが、主人と使用人と、50前後の主人の娘が働いている。旅館は国道3号線より一段高台にあり、客もサラリーマン風の客がまあまあ入っている。上司は取り敢えず、上司の息子であり悪友でもある古賀晃が家まで送って行った。残ったのは、中園健吾、田中稔洋、竹島龍彦(笑)

カウンターにモズクガ二が出ていたが、この辺で採れるという。じゃ取りに行こうということになり、主人が案内してくれた。採れるのはすぐ下の国道3号線。舗装していない(笑)。その水たまりの岩の間に一杯いるが、脱皮してまだ柔らかいのはやめたがいいと言う。殆どが柔らかいが、中には堅めのものもいる。うちの家内が大好きだと言うと、主人は、だれも居ないので、多少軟らかいものもいいよと、纏めて持たせてくれた。

その後、何となく娘さんの話になった。50近いが、まだ未婚だと言う。実は、一緒にいる中園は、元はと言えば、中華料理の巨匠、陳建民の弟子で、昔、テレビの料理の腕を競う番組で一世風靡した、もちろん今も活躍しているが。その陳建一とは兄弟弟子。神戸の六甲ホテル、熊本のキャッスルと言う中華の銘門で腕を振るい、久留米のハイネスホテルの中華料理長を請われてやっていたが、故郷八女市で独立、香翆苑を開業した。しかし、料理の腕は一流でも経営者としての経験は無く、設備投資が原因で行き詰り、閉店を余儀なくされたが、みんなが、その料理を惜しんだ。振り返れば丁度バブルの後退期とも重なったような気がする。

暫くは、負債の為に復活できなかったが、時を経て、私も他店で復帰を勧めたし、福岡市内の福寿飯店の社長にも頼んで、彼をよく知っておられたので、話をつけたが、中園は頑固者で、二度と包丁を握らないと、今は、実家で1人農業をしており、私としては、歯がゆくてしかたなかった。

こうして、お宅の旅館に泊まって、巡り合ったのも、何かの縁。年は少し離れているが、もしも、娘さんにその気があれば、また、後継ぎも居ないと言われるなら、この店で中華の、もちろん日本料理もできるので、そんな店を二人でやっていけないでしょうか。

みんな、その夜も飲もうと言うことになったが、私が先に蟹を届けてくるというと、みんなが気を効かせて、どうせ31日に同窓で、この店に集まるから、今日はこのまま帰っていいよと言ってくれる。その後、このご主人、誰かに似ていると思ったら、八女市柳瀬のまるみつ食堂のおじさんだ。

まるみつ食堂は、もう時効だからいいと思うが、私達が高校の時に、こんなメンバーで、学校帰りにタバコ休憩をして帰った店。おじさんは、我々のために一番奥の部屋をいつも使わせてくれた。帰って晩飯は食うのだが、そこでも焼飯や焼きそばをよく食べて帰った(笑)。

そんな夢だった。2時過ぎたから寝る。

 - 雑記

  関連記事

鶴の一声
アメリカ物語1
学校の廊下
少年時代3
鶴の一声
鶴の一声
自費出版
鶴の一声
656 当たり前
鶴の一声
850 有難う内臓
鶴の一声
免罪台北
鶴の一声
576 バンコク渋滞
鶴の一声
連休の過ごし方
鶴の一声
子鶴の恩返し 2