811 方言
先日から、東京の娘婿が、我が家に数日滞在して、家の中で行き交う方言の話題となった。我々も感じることだが、地方の人間同士が話していると、なかなか言葉を理解できない場合がある。
江戸時代、藩制度が敷かれるようになると、藩同士の行き来や、幕府の隠密、つまり、幕府からの偵察により、藩としての秘密が漏れることを防ぐために、忍び込んだ者の見分けがつくようにと、藩独自の言葉が使われるようになった。その名残が方言と言われている。
同じ県内でも、地区によって似つかわしくない方言があるのは、元々の方言に加え、幕府の強制的な国替えなどで、例えば、広島辺りから一族郎党が福岡辺りに移り住んだりすることもあったためだと思われる。ここ、八女市も、今は八女市として統合され、標準語を話すことが多くなったが、同じ八女市でも、矢部川と言う川を隔てて、北側と南側では言葉が違っていた。
北側は元々有馬藩という久留米市を中心とした藩で、我々の住む南側は、柳川に本城を構える立花藩。福岡県内の言葉は、それぞれの市町村からして、それほど分からない方言ではないが、幕府との関係が遠い藩ほど、分かり難い。もちろん、沖縄は琉球王国と言う別な国だから、根本的に違う。沖縄は別としても、昔の薩摩藩の鹿児島や津軽藩の青森を代表するように、標準語とかなりかけ離れた方言がある。
昔は、方言を話すと恥ずかしいという風潮があったが、今は方言を話す人も少なくなり、貴重な文化遺産となっている。八女弁を紹介してみよう。私たちの子供は何とか分かるようだが、既に孫たちの年代は、殆ど分からないようだ。
「おまいが、こまかときゃ、ほんなことわるさぼうずじゃった。いっちょん勉強せんでくさ、ふとなって、どげんどんなっじゃろかち思よった。墓石ん上であそびょったけん、母ちゃんから、そのうち、ばちかぶって、ひてぐち足のひっつくぞちおごられよったろが。てえげ、けえころで、怪我もしたばってん、としゃとったっちゃ、嫁さんばもろたけ、どげんこげん言うたっちゃ親孝行もんたい。さぶかときゃ、嫁さんとぬっと、ぬくもろが。はよ、がまだしてあとつぎばつくらやんたい。となりも嫁さんば貰わしたげなばってん、あんした、あんまり、けそけそして、うろたえらすもんじゃんけん、嫁さんな、ひっとでらしたげな」