717 義母逝く
今日は、カミ様のお母さんの葬儀だった。24日のクリスマスの日に亡くなり、昨夜がお通夜で今日が葬式。私も抗がん剤の副作用も丁度治まった頃だったので、何とか1人娘のカミ様の夫としての務めを果たすことができた。もちろん喪主はお義父さんなのだが、義母と同じ年の87歳で既に身体が不自由。カミ様の兄が実質的な喪主。
昔はそれほど珍しい事ではないが、義父の妹の嫁ぎ先から義母が来ているために親戚も少ない。18歳で嫁いできて、若いころは親を早くに亡くした義父とともにかなり苦労して、今の家を築いたとのことだった。
私は、カミ様と結婚する時、相当悪い奴とみられていたらしく、周りからの反対で窮地に至っていたところを、私の事を認めてくれた義母が義父を説得してくれて結婚することができたので、私にとっては縁結びの本当のカミ様。いつもニコニコと優しい面立ちで、皆さんから親しまれていた印象が残っている。正月やお盆には娘婿として手料理で歓待してくれたあの頃の元気な姿が目に浮かぶ。若い頃に仕事で無理したこともあり、腰が曲がってきて、怪我したことをきっかけに入院し、3年前からは寝たきりの状態で、話も出来ないきつい入院生活を送ってきたので、私達としては、義母がその苦しみから解放されたという思いが強く、悲しみより義母がこれで救われたという思いだった。我が家のカミ様も実によく介抱や世話をしてきたと思う。天国で痛みや不自由から解放されて、ゆっくり休んでもらいたい。
今は、葬儀場があるから、本当に助かると思う。分からないことは教えてくれるし、準備万端整えてくれる。考えてみれば、こんな施設が出来たのは、まだここ30年のことだ。それまでは、みんな家庭で葬式をしていた。葬儀場は当たり前のようで、本当に便利になった。それでも相変わらず変わらないのが、国会議員や県会議員などの、会ったこともないのに悔やんでくれる選挙のための弔電。本人やせめて秘書が来ている以外は、最後に纏めて義理弔電として名前だけ読むようにしよう。身内より先に、しかも形式だけの弔文を読み上げる必要はない。個人が耳が痛いと言っている(笑)
今日は、朝から雨が止んでいい天気になり、丁度葬儀の時は、お参りして頂いたみなさんにも雨に濡れることなく出棺も終わった。私は私がゴルフを断った日は必ず雨が降るのに、それはそれで今日のコンペのみんなに恨まれずに良かったと思っていたら、やっぱり出棺が終わり、皆さんが帰ったと同時に結構な雨が降り出した。今日はスタートが遅いから、まだハーフは残っている。「ほーら、しげちゃんが欠席したから雨になった」みんなが話しているのが聞こえてくるようだ。
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