鶴の一声

靏繁樹が日々考えたことや思いついたことを徒然とかきます

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578 年の瀬

   

 海外出張や来客が続いた後の連休は助かる。
「きつい時は休んでください」と、みんな言ってくれるけど、そう言われると、ますます休みたくないのが性分。俗に言う貧乏性と言うのだろう。
 みんなに頑張ってくれと言って、自分が休むわけにもいかない。
休むのは、リタイヤしたら、どれだけでも休める。

 その休みの1日目は、鶴一族の墓地掃除、なぜかこの一帯で鶴姓だけが一緒の墓地で、他の姓の皆さんは合同の墓地を作っている。昔からのなごりらしいが、都合の悪いことも多く、一緒の方が何事もやりやすいのだが、それが自他ともに当たり前になっており、今から合同とは、簡単には行かないようだ。
 とにかく、お盆前と、年の瀬の恒例の作業となっている。

 墓地清掃が終わると、これもまた恒例の、山の上に祀られている神様へ続く道と、神様のしめ縄取替。
 しめ縄は、あらかじめ、神座と言われる神様を祀る行事の当番数軒で作っており、それを掛け替える習わし。来年は、またその当番が回ってくる。
 昔は、軒数も人も多く、10年に1度くらいだったのが、過疎化になって今は4年に1度。これからも続けられるかどうか、いつかはこんな行事も途絶えるのだろう。

 神様と言うものは、元々、人が創り上げた存在。時には、豊作や平穏を願うため。人心を集めるため。戦いの勝利を願うため。近年は詐欺のために頑張る神様もいるようだ。
 参加できる人が少なくなり、若い人の中には、こんな大変な行事を続けることに疑問を持つ人もいることも確かだ。
 しかし、こういう精神的な行事を止めてしまったら、どうなるのだろう。
本当に、合理主義的な、独自主義な社会。みんなが集まり、共同作業をして汗を流す機会も無くなる。
 だから、神様を信じる信じないではなく、その作業自体に意味があるのだと思う。

 今朝は、久しぶりに冷え込んで、出勤時の外気温は1度だったが、近年、温暖化により、年の瀬と言っても暖かく、なかなか実感として湧いてこない。湧いてこない内に今年も終わろうとしている。
 そういえば、今月に入って、ゆっくりできず年賀状も書いていない。(^^ゞ💦
来年2枚出すわけにはいかないだろうな。

 

 - 信念, 社会

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