鶴の一声

靏繁樹が日々考えたことや思いついたことを徒然とかきます

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542 中国天津市

   

 中国には、研修生の選考や仕入れ関係で、年に2~3度は行っているが、30年ぶりに天津に行くことになった。前号で書いた通り、昔取引していた人が天津に移住して、現地の日本人相手の幼稚園を経営しているというので、進出実態の勉強を兼ねて尋ねることにした。
 彼は、まだ研修制度が確立する前に、私が将来のことを考えて研修生受入れの勉強をしたいという話をしたところ、15年前に中国の丹東市の市長に会わせてくれて、市長自ら歓待してくれ、彼を丹東市の経済顧問と言っていたので、中国共産党との繫がりがあるのは知っていたが、幼稚園経営とは、彼の経歴からは想像も出来なかった。
 まさか、幼稚園とは名ばかりで、子供をさらって強制労働をさせているのではと疑っていたが、そうでは無かった。

 私が天津に最初に行ったのは、まだ中国で車が珍しかった頃で、海外から輸入した中古トラックが走っていたくらいで、朝夕は自転車の波が押し寄せるように、道一杯に広がって来るのが印象的だった。
 その時は、おでん事業を始めるという事で、牛のアキレス、つまりスジという部位、それと糸蒟蒻を天津の工場で作って貰おうと出向いたのだが、道はまだ舗装していないところが多く、高層ビルなど殆どなかった。
 工場のトイレなどは、空き地に穴を大きく掘っただけで、みんな顔を合わせてやる。確かに見通しはいい。

 今度行ってみると、大連以上に40階50階の高層ビルが林立して、東京の比ではない。
ただ、地区によって超近代的なビル群と、古びたマンション群が混在している。
 大連も、少しずつ増えて現在700万人というから、相当の都会だが、天津は1500万人と、その倍以上。天津の市民は、大連を田舎だと言う。
 私は、昔の天津のイメージがあったから、大連よりずっと田舎だと思っていた。
本当は、天津からも万里の長城に行けるというので、行こうかという話になっていたが、片道3時間半。今回は大連から夕方入って、翌日の夕方には戻るという日程で、時間が無かったので、市内を案内してもらった。

 高層ビルが立ち並ぶ中心街の中に、フランスの統括地だった住宅街と、イタリアの同じ住宅街が保存されている。そこまで歩いて行ける位置に、今回取ってくれたウェスティンホテルがあり、そのホテルに隣接したウエスティンマンションに彼は住んでいる。何と家賃月額35万円だというが、それでもコネで安くなっていると言っていたが、とにかく中国各都市の中心街の地代家賃の値上がりは著しく、それで撤退する日本の店も多いとのこと。

 そのホテルから、フランス住宅保存区を抜けて、歩いて行ける所に彼の幼稚園がある。
そこも、マンションの1フロアを貸し切って約60人くらいの子供を預かっているという事で、実際案内して貰ったが、まさに日本の幼稚園以上に、完備された幼稚園だった。
商業施設も多く、伊勢丹も歩いて10分。日本人社会では、伊勢丹からの距離が等級らしい。
 とにかく、彼の容姿と経歴から、子供たちから園長先生と呼ばれるギャップが何とも。笑
子供たちは、ほとんどトヨタの社員の子供で、天津トヨタ工場だけでも日本から600人くらいの社員が来ていて、天津市全体では4~5000人が住んでいるとのこと。
 もちろん、日本人学校も近くにあった。

とにかく、中国はコネの世界。カネではなくコネ、人の繋がり。それも共産党の偉い人。
 彼が初めからコネが有った訳ではなく、彼の仕えた某社の会長が中国に貢献し、その時の人脈が生きていると教えてくれた。1日一緒に居るだけで、その周辺の日本人が、かなり彼の中国人脈にお世話になっていることも分かった。何でもありの一党独裁世界。
 私も、日本に居られなくなった時はお世話になろう。笑

 - 政治経済, 社会, 経営, 雑記

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