農協改革
2018/03/17
昨年、国会議員の小泉進一郎が、農協改革を越え高く唱えていた。
何を改革しなければならないと言っているかというと、本来の農協のあり方や役割、つまり農協は組合員のために組織され、国政的にも優遇されている農協が、本来のあるべき姿から、間違っているんじゃないかと言っているのだ。
本来の目的とは、共同販売・共同購入によって生産者の経営が有利になること。
もう一つは、農協に指導員を置いて、生産者の技術指導や栽培指導を行うことで、生産量と価格を優位にして、同じく経営を高めること。
昔は、農協組織を纏めて、県や国に議員を送り出すという目的もあったが、その力も年々薄れている。
ところが、現実は生産者である正組合員が激減し、一般の利用者である準組合員の利用の方が上回っており、しかも、本業の農産物販売より、金融や保険の収入の方が、農協経営の柱になっており、組合設立の目的から逸れている。
(まあ、管理費や指導費を、組合員を対象とした金融や保険収入で補完するのは悪いことではないし、組合員のためになっているのだが、そのために本来の仕事がお留守になったらまずい)
また、組合の職員が増え、その多大な給与を賄うために、農協のための農協になってしまい、共同購入で安く帰るはずの農薬や農機具が、民間よりも高くなっており、共同販売も、県連や全農などの幾重にも取られる販売手数料のために、生産者の手取り収入が減っている。
もしかしたら、職員の数と生産者の数はあまり変わらないのではないかとさえ思う。
組合員数が減少し、生産高も減っているのに、そのまま拡大した時点での規模を維持したらそのコストを賄えななくなるのは当然のことで、分母に会ったリストラが必要になる。
また、組合員の出資した豊富なお金や、農協であるために受けやすい補助金を使って、長期展望や長期計画無しに、安易な投資をするために、失敗した後の弊害が多くなっている。
確かに、近年は生産者の農協離れが目立つようになった。
一生懸命に、いい作物を作ろうとしている生産者ほど、全てを平均化して販売する農協のシステムのために、彼らの努力に報われないのだ。
だから、有能な若者ほど、独自のグループを作って農協から離れていく。本当は、農協がそういう新しい取り組みや方向性を、農協に取り込んで改革の力にすべきなのだが。
昨日、我々加工会社と農協及び生産者代表の会議を行った。
その中には、今の農協のあり方に危機感を持っている職員もいる。
しかし、官公庁と同じようになってしまった農協組織では、なかなか改革的な意見は言えないようだ。当人がいうには、もう生産者の代表がトップになって、農協を経営していける時代ではなくなったのに、旧態以前のままのやり方や人事が行われていると嘆く。
農協は、補助金も受けやすく設備投資も大きい。そこに介入する県や国の議員、そこに群がる関係者や業者。
まだまだ、そんな構図が堂々とまかり通っているようなことも聞かれる。
まずは、組合長や理事は非常勤の無報酬でもいい。
なぜなら、無報酬か、ガソリン代などの実費でやっている、集落や同業者の団体の役職と、やっていることは同じ、自分たちの団体の世話だからだ。
そして、企業経営者などの経営のプロを組合内外に取り込んで、生産者の利益のための経営を目標に徹底的に改革する。
報酬を払うなら、それだけの仕事ができる人間を雇った方がいい。
もちろん、内部にそれだけの能力とやる気のある人材があれば、自主改革に越したことはないのだが。
農協は、相当の潜在能力を持っている。
ただ、それを活かせていないのが残念だが、競争相手は、だからこそ助かっている。
外が寒ければ寒いほど、ぬるま湯から出たくなくなるのが人間。
しかし、思い切って外に出て、寒い中でも過ごせる工夫をしなければ、いずれは、そのぬるま湯も冷え切って、凍死する運命になる。