鶴の一声

靏繁樹が日々考えたことや思いついたことを徒然とかきます

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 杣人伝 その22

   

 その頃、競技場では、やり投げの競技に競技場のみんなの注目が集まっていた。
中には、何があったんだろうと、その群衆に駆けよって行く者もいた。
 やり投げが始まると、予選成績の下位の選手から投げていく。そして、各自三回投げて、一番距離の出た成績で順位が決まることになっている。
 区の予選で、上位二十位までがエントリーしており、やがて、「品川高校三年、ゼッケン三十三、長谷川君」の放送があった。
 既に二人が投げていたから、長谷川は予選で十八位だったことになる。
ゼッケンの番号は、予選の時の番号をそのまま使うため、本選の人数より大きい数字になっている。

 長谷川のコールで立ち上がった少年は、引率者席の近くに立っている丸山の方を見た。
丸山が、大丈夫落ち着いてと言うような表情で頷いた。
 少年は、その頷きに答えるかのように、小さく頷いて、槍を持ってスタートラインについた。
 前の二人の選手は、両者とも助走から、走りのスピードを上げながら、槍を持つ手を大きく肩の後ろに反らして、耳の傍をかすめるように肩口から投げる。まさに、やり投げ独特の姿勢だったが、三番目のその選手の投げ方は少し変わっていた。
 丸山から「自分の投げやすいように投げていいから、とにかく遠くに、そして槍が地面に突き刺さるように投げるのよ」そう言われていた。
 それは、他の選手の様に槍を片の上に担いだ形で、上から投げるのではなく、横から、丁度野球のサイドスローのように、何かの目標に向けて、一点を射るような投げ方だった。

 その少年から放たれた槍は、ブンという唸りを上げて、前の二人の刺さった位置をはるかに越えて、最長ラインの先に刺さった。
 この最長ラインは、一応引いてはいるが、その前の前のラインさえ、過去の大会で越えた者はいなかった。
 会場は、声を失った後、一気に騒がしくなり、そして、この群衆が出来たのだった。
会場の中で、写真を撮るため撮るために、カメラマンの三宅と共に、その選手の近くにいた山田は、驚きと共に、ある記憶を蘇らせた。
「確か、この顔はどこかで見たぞ」そして、やがて答えを引き出した。
「そうだ、あの大学駅伝で、歩道を走っていた中学生か高校生。確かに見覚えがある。藤代さんが探していた少年だ」そう思った。
 あの時は、映像の中の姿だったから、まだ確実という訳ではないが、この記録は尋常じゃない。
 とりあえず、社内で留守番している川島に連絡して、どう思うか聞いてみることにした。
案の定、川島は、藤代に伝えると言って一旦電話を切り、暫くして、「藤代さんが競技場に向かうから、見失わないように見張っていてくれ」との返事が返ってきた。
 その後、騒ぎで中断したものの、落ち着いたとは言えないが、とにかく残りの十七人が一通り投てきを行った。
 その中のトップの成績はやはり予選上位の顔ぶれだったが、それでも八十メートル台で、殆どは七十メートル台。
 長谷川と言う品川高校の選手が記録した百二十メートル超えは、まさに桁違いの飛距離だった。
 投てきが一巡して、その少年が二回目を投げるのを見ようと、先ほどの出来事を聞いた人々で、更に観客が膨れ上がった。
 グランドの反対側では、走り幅跳びの競技も行われているが、やり投げに観客を取られ、競技者と審判くらいが残って、協議を続けているだけで、周りには誰もいない。
 
 応援席にいた人々もグランドに降りてきたり、立ち上がってやり投げを注目している。
少年が一回目の投てきで投げた位置には、新記録として鉄製の細い杭のてっぺんに丸い円を付けた目印が立っている。
 少年が、今度は最初から獲物を狙うような目線で、踏切線の近くに立って、ほんの少しだけ助走したかと思うと、槍はまた横手がブンという音と共に飛んでいく。
 そして、立ち会った群衆は信じられない光景を見た。
少年の右手から少し左方向に放たれた槍は、弧を描くように左から右方向に戻るように反って飛び、最初の投てきの記録として立てられた杭の頭の円を貫いて地面に刺さったのだ。
 刺さった槍の方に群衆が動いた。
遠目でも見えるのだが、やはりこの目で確かめたいという心理が働いて、一斉に動く。
 そして、先ほどより、更にざわざわと騒がしくなった。
みんなが、その少年を見直すように振り返った時、その少年の姿はなかった。
 採点席には、二投目の後、引率の丸山から三投目は放棄しますと申し出が伝えられていた。
もちろん、中央日報の山田と三宅も、刺さった槍を確認した後、少年を探したが見失ってしまった、
 藤代から、もう競技場の入り口に着いたからという電話を受けたばかりだったので、かなり慌てて探したのだが、とにかく競技場が広いので、二人では限界があった。

 再び藤代から電話がかかり、今グランドに入ったと言う。
グランドの入り口方向を見ていると、藤代が携帯を耳に当てたまま歩いてくるのが見えた。
 普段のスーツと違い、セーターにジャンパーという軽装だった。
「藤代さん、こっちこっち」と三宅が手を振りながら声をかけた。
山田は、今までの一部始終を藤代に話して、きっとまだ競技場にいるはずだと言った。
 藤代も、今度こそは見失いたくないと思いは強い。「わかった。他の競技もあるからカメラは引き続き絵を取っておいてくれ。で、俺はこの中を探してみる。最後は表彰式があるはずだから」
 そして、山田を見て言った「万一と言うこともあるので、記事は後で絵を見てなんとかしよう。それより出口で張っていてくれないか」
「がってん、この方が記事になりそうだし」そう言って、山田は興奮ぎみに競技場の出口に向かって、小走りに走り去った。

 二時を回って、グランドの一番奥で、棒高跳びの競技が始まるので、選手はスタンバイするように放送が流れた。
 まだ、槍投げも三投目の投てきが続いていたが、ポツンと奥の方に最長記録の印が立てられており、何か不思議な雰囲気に囲まれていた。
 競技委員や関係者も、先ほどの異次元的な投てきのことで頭は一杯なのだが、とにかく他の選手の為に冷静に競技は続けなければならない。
 その後は、二回目の残りと三回目の投てきが行われたが、やはり七十から八十メートルの間に集中し、品高の長谷川選手のそれは、どう見ても異常な距離だった。

つづく
 

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