鶴の一声

靏繁樹が日々考えたことや思いついたことを徒然とかきます

*

杣人伝 その17

   

「関矢、打ってみないか」
さっき、大きい当たりを放った二年の山田から、まだ唖然として、持ったままだったバットを取り上げて関矢に渡した。
「野球知らなくても、この頃、よくあそこで観ていたようだから、打ち方は分かるだろう。田中が投げるから、そこの白い枠線の中に立って打ち返すだけだ」そう言って、関矢の体をバッターボックスの方にちょっと押して、顎を突き出して打つように勧めた。
 関矢は観念したように、バッターボックスに立った。
誰かの目を気にしているように周りを見渡して、おもむろにバットを右後ろに引いた。
 今まで、度々練習試合などを見ているので、立ち位置や構え、それにどこに打てばいいのかは分かっている。
 田中が「いくぞ」と声をかけて第一球を投げた。
球速は百三十キロ以上は出ていると思われたが、関矢には、その白い縫い目まで分かる動体視力が備わっていた。
 関矢がボールの真横を叩くと、ボールはバシッという音と共に、ピッチャー目掛けて低く飛び出し、空気の抵抗を押し返して、グッグっと加速するように飛んで柵を越えた。
 さっきのセンター奥からの返球と同じように、一瞬静まり返った後「ウォー」という歓声が上がり、「すげー」「まじかよ」そんな声が飛び交う。
 
 結局は、関矢に二度驚かされて、池田初めみんなが関矢に入部を勧めた。
いや、進めると言うより、是非入部して欲しいという気持ちが強かった。
 この投打力を持つ関矢が入部してくれたら、このチームでも今度の大会で上位を狙える可能性が出てくる。
 田中も関矢の手を握り「関矢、一緒にやろうぜ」そう言って反応を待った。
「ごめん、入部は駄目だと思う。東京に居られなくなるから」
「何で? お前、才能もあるし、家も近いんだろう」
「駄目なんだ、それがここに居る条件だから、ごめん、ありがとう」
そう言って駆け出した。
みずきも急いで後を追った。
 残された野球部員は、何が何だか、関矢の言う意味がわならないまま、夢でも見たような気分で二人が駆けて行くのを見送った。

「ねえ、関矢君、田中君たちの言う通りよ、野球やったらいいじゃない」
追いかけながら、みずきが言っても「みんなに迷惑かけるから」と前を向いたまま歩く。
「誰が迷惑なの」みずきは、さっきの投球やバッティングを目の前で見ているだけに、何とかその気にさせたいと食い下がった。
 暫くは「やればいい」「無理だ」というような言葉の掛け合いが続いて、五、六分足早に歩いた所で、関矢が「僕はこっちだから」と言って、住宅街の横道を坂の方に歩いて行った。

 みずきは、その夜、食事の後片付けを手伝いながら、母の美津子に今日の関矢の出来事を話した。
 みずきの家の近くの横道を坂の上に歩いて行ったことを話すと、美津子は「あの高台は関矢さんていう一軒のはずよ。それも、あなたの学校の校長先生の」と言って、居間で寛いでいる夫の正雄の方に顔を向けた。
「ねえ、お父さん。ほら、あの美杉台の一番上には、関矢さんて品高の校長先生の家一軒だけよねぇ」
「ああ、あそこはまだ、新しい住宅地を開発中のところだから、前からあるのはあの一軒だけだな。あの高台の西側までは、同じ町内会になっているから間違いないと思うよ」
「でも、子供さんは、確かもう大きかったはずよ。確か娘さんが一人で、もう社会人のはずだけど」美津子が言った。
「いや、その娘さんは確かもう嫁いで、お孫さんがいると聞いていたと思うけどなあ」
同じ町内会でも、そこまでは詳しくないという口調だった。
 品川あたりになると、同じ町内会と言っても、二、三軒隣の人がどういう人で、何をしているかも知らないのが実情だ。関矢校長の場合は、地元の品高の校長ということで比較的知られているということなのだろう。
「そうなんだ。関矢君は校長先生の家から通っていたんだ。確かに苗字は同じだけど、どういう関係なんだろう。そして、なぜ部活やっちゃいけないんだろう・・・・」美津子に話しているようでもあり、独り言のようでもあるように呟いた。
 みずきは、出会いの時といい、関矢のことが益々謎に思えてきた。

 次の朝、教室では田中がみんなの輪の中で、早速、昨日の関矢の事を、自分の自慢話の様に話しながら、まだ関矢に入部を勧めていた。
 みずきは、心の中で、自分がその場に立ち会っていたことで優越感もあり、その風景が微笑ましかった。
 しかし、関矢の入部はないだろうと思った。

 その内、中間テストに話題が移り、やがてテストが終わると、みずきの吹奏楽部も次の音楽祭の練習で忙しくなり、その後は関矢も相変わらず、下校の途中で時々野球部のグランドに顔を出した。もうみんなも勧誘は諦めて、関矢は時々球拾いとか手伝ってくれているらしい。
 大きい当たりには、すぐ音で反応して、ちゃんとボールが落ちてくる所で待っていると、田中達が口惜しそうに話しているのを聞いた。

つづく

 

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