杣人伝 その12
第五章 再会
「行ってきまーす」
三沢みずきは、そう言いながら真新しい黒い靴を履いた。
「ちょっと待ちなさい。一緒に行くから」
母の美津子が、廊下を小走りに駆けてくる。
玄関を開けると空気はひんやりとしているが、青空が広がる気持ちのいい朝に飛び出した。
「わあ、いい天気!」
「良かったわね、折角の入学式が雨じゃね」
みずきは、今日から私立品川高校の新入生になる。今日はその入学式で、母の美津子が出席することにしていた。
品川高校は、俗に言うおぼっちゃん、お嬢さん高校と言われる進学校で、校舎もJR品川駅からそう遠くない住宅地の高台にあり、みずきの家からは歩いて二十分かからないところにある。
みずきは、あこがれの品校生になることと、もう一つ、都内でも有名な品高吹奏楽部に入部することに胸を膨らませていた。
品高吹奏楽部と言えば、高校の全国大会の常連で、過去に金賞銀賞の受賞歴のあるクラブで入部が目的で受験する者も少なくなかった。
みずきは、既に三月末にあった説明会の折に、入部手続きもして、あこがれの先輩にも説明や世話をしてもらい、中学からやっているフルートを続けられることも決まっている。
新しいクラスの顔合わせもあり、品川中学からの進学も多いことから新クラスに対する不安もなく、楽しい期待だけの登校だった。
ただ先日、学校から、同級生が当初予定より一人増えて三十八名になるという通知があり、どんな人が入ってくるのかなと思っていた。
とにかく、品川高校へ近づくと桜並木がほぼ満開のアーケードを作っており、お馴染みの品高の制服を着た親子連れが多くなり、「おはよう」「おはようございます」と明るい声が飛び交う。
この辺一帯は、住宅地で会社員の通勤姿が多いが、今朝は何となく華やかだ。
入学の日としては、桜に青空、これ以上文句の付け所がないなと心で思いながら、歴史を刻んだ校門をくぐった。
入学式は厳粛な中に、校長や教育長の挨拶から、来賓挨拶、新入生総代の決意表明、在校生の歓迎の挨拶。そして、あのあこがれの吹奏楽部の歓迎演奏と滞りなく終了し、生徒は各教室に、保護者はその後、保護者会が開催されることになっていた。
教室は、中学の同級生や説明会で知り合った者同士の会話でざわめいていた。
歴史のある学校で、校門や同窓会館などは明治時代の中学だった頃のまま、空襲や震災被害を免れて残ったと言うことで、一部は修復されているものの、いかにも歴史を感じさせるが、校舎は十年程前に新築されて、近代的で明るい雰囲気の教室になっている。
みずき達の教室は四階建て校舎の二階の一番端になっていてグランドに面している。
一階が校長室や職員室の他、図書室や保健室などの共有スペースとなっており、基本的に一階に一年生、二階が二年生、三階が三年生の教室となっているが、みずき達の一クラスだけが二階の端になっていた。
教室は二棟あるが、途中でクラスが増えたことで二階にも一年生のクラスが出来たと聞いていた。みずきは、二階の方がグランドや周りの風景が見えてラッキーだと思った。
暫くして、担任となる丸山美穂が、一人の男子生徒を伴って教室に入ってきた。
まだ、クラス委員長も決まっていないのに、丸山が入ってくると、みんな自然に机について立ち上がり、一斉に「おはようございます」と挨拶をした。
「さすが、みんな品高に来ただけある」とみずきは感心した。
丸山は、品川高校では生徒に人気のある先生らしく、まだ独身で女性教師でありながら女子生徒にも人気があるということを姉の慶子から聞いたことがある。
姉の慶子も、みずきと丁度入れ違いで品川高校を卒業し、今年から早稲田大学に入学していた。
慶子の話では、丸山は歳は二十五歳、滋賀県生まれで京都のスポーツ名門校である私立京都女子を卒業後、慶子と同じ早稲田を卒業して教職に就いたと言う容姿端麗なスポーツウーマン
で、大学時代は短距離の選手として活躍し、何種目かの競技で輝かしい記録を持っているらしい。
ミス早稲田にも選ばれ、モデルの誘いもあったらしいが、養父の勧めで高校教師となり、今は、みずきのクラスの担任と品高陸上部の顧問を兼ねているという。
両親が事故で早くに亡くなって、親戚のお寺か神社の養女となって育ったと慶子から聞いていたが、暗いところも無く、他の女教師より輝いているとみずきは思った。
みんなに平等で、えこひいきしないところも人気の一因らしい。
丸山は、ざわつきが静まったのを見計らって、その傍らに立っている男子生徒をこう紹介した。
「みんなに紹介します。みんなは先日の説明会の時に自己紹介をしてもらったのでお互いに知っていると思います。彼は、名前を関矢司郎君と言います」と言いながら黒板に名前を書いた。
関矢ツルギという名前では、注目を集めやすいということで、関矢と朝倉で話し合い、よくある名前だということで、司郎という名前に変えて手続したのだった。
「司郎君は、家庭の事情で急に九州から東京に移ってくることになり、入学の手続きが遅れました。今まで、福岡県の八女と言う地方の町でずっと生活していたので、言葉の違いや文化の違いがあるかもしれませんが、慣れるまでみんなで仲良くしてあげてください」
みずきは、文化の違いと言う言葉から、この情報が行き渡った現代社会で、何か滑稽に聞こえ、八女という所はそんなに田舎なんだろうかと、よくテレビに出てくる山里の風景を思い浮かべていた。
つづく