鶴の一声

靏繁樹が日々考えたことや思いついたことを徒然とかきます

*

トルコ・エーゲ海・エジプト

      2017/07/12

 フェイスブックで友達になった女性が、旅行に行ったエーゲ海の島の写真。また別の女性がトルコ旅行で立ち寄った、イスタンブールのブルーモスクやバザールの写真を偶然にも、今週同じ日にアップしていた。
 確か、35年程前になると思うが、結婚して子供も居たが、どうしてもエジプトに行きたくて、妻子を置いて行かせてもらった。
 その時は、今しか行けないのではないかと思ったが、正解だったような気がする。
会社もよく休ませてくれたものだ。よく考えると会社にも、家庭にも居なくても良かった人間だったのかも笑笑。

 その当時あった日通旅行社というところのツアーに参加して、成田からスイス経由でギリシャに入り、エーゲ海クルーズをやって、トルコのイスタンブール、そして念願のカイロに入った。
 まだ、エジプトは遠い国で、景気が良くなっていた日本へのエジプト観光局の観光誘致と言うことで、比較的安いツアーだったので、夜中に到着とか早朝出発とか、結構過酷な面もあったが、まだ体力があったので、苦にはならなかった。
 各都市に1泊か2泊で、8日間の旅だったが、スイスでは、ヨーデルを奏でるレストランで地元の皆さんと仲良くなったり、エーゲ海の島々をスケッチしたり、トルコではベリーダンスを舞台の上で飛び入りで踊ったり、エジプトでは民族衣装に着替えて旅行したり。確か、当時観た映画の「アラビアのロレンス」にかぶれていたのだと思う。
 何といっても、夜に着いたカイロの空からの、砂漠にダイヤを散らばめたような夜景は感動的だった。

 その頃も、ツアー問題児で、添乗員さんの心配をよそに、スイスでもカイロでも解散後に、一人タクシーで夜の街に出ていく。
 その当時のカイロは、まだインフラが整っておらず、道路も土のまま、ホテルのシャワーもお湯が出ない。
 しかし、先日、フエィスブックで見せて貰ったトルコやエーゲ海のサントニー島の様子は、35年経っても、殆ど変わっておらず、懐かしかった。
 そういえば、ナイル川の上流にあるルクソールが素晴らしかった。あのツタンカーメンの墓にも入ったし、後日、テロによる大量銃殺が行われた神殿にも行った。カイロ博物館の規模の大きさには度肝を抜かれ、結局半分くらいしか観れなかったことを思い出す。

 ツアーのメンバーは、7~8人くらいで、帰国後には何度かみんなで飲み会をしたが、その時に60歳くらいの年配の方もおられたので、亡くなった方も居られるだろう。若い女性が友達とお母さんと三人で来ていたが、後で嫁いだという手紙とお母さんが亡くなったという手紙を頂いた。
 当時は、行きの飛行機だけで20時間ほどかかっていたが、今、シンガポールやタイに行く8時間でも、ちょっときつくなった。もちろんエコノミーだから。
 やはり、行きたいところには、多少無理しても、行ける時に行っておかないと。
会社を引退したら、時間を十分とって、1か所に数日止まるような独自の計画で、芸術のイタリアや、チェコやオーストリアなど、もう一度、あの美しい古城や田園風景を楽しみながら、ゆっくり旅したいと思う。
 そのためには、元気な内に引退しないと!!

 - 雑記

  関連記事

鶴の一声
626 過ぎたるは猶
鶴の一声
杣人伝 その4
鶴の一声
729 人生の濃淡
鶴の一声
居酒屋
鶴の一声
720 年の初め
鶴の一声
小説執筆中
鶴の一声
年賀状
鶴の一声
週刊実話
鶴の一声
728 血糖値
鶴の一声
発刊、発汗!